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今回紹介するのは、ローマ皇帝のフリードリヒII世(イタリア名:フェデリーコ2世)です。フリードリヒII世というと、日本ではプロイセン王のフリードリヒII世が有名ですが、グローバルな視点で考えればローマ皇帝のほうがはるかに高く評価されています。

 

 スイスの歴史家・ブルクハルトが「王座最初の近代人」と称したフリードリヒII世とはいかなる人物だったのか。2013年12月に歴史作家の塩野七生さんが『皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上・下』(新潮社)を出版して日本でも再評価され始めているので、グローバルな認識との格差をさらに埋めるべく、これを機に取り上げさせていただければと思います。

 

 フリードリヒII世の父は、傑物と讃えられた赤髭王(バルバロッサ)・ローマ皇帝フリードリヒI世の嫡子であるローマ皇帝ハインリヒ6世です。ハンサムで有名だったハインリヒ6世は、父親と話し合い、10歳も年上のシチリア王女・コスタンツァを妻に迎えました。彼女がシチリアノルマン王国の相続人だったからです。

 

 そして運よくフリードリヒII世を授かるのですが、それはもう一大事。というのも産まれてくる子どもは父と母の地位を継ぎ、ドイツ、北イタリア、シチリア、南イタリアなど広大な領地を治めることが宿命づけけられていたからです。そのため、40歳の高齢出産であったコスタンツァが本当に身ごもったのか(腹部に詰め物などをして誤魔化していないか)と疑われ、旅の途中イェージという街の広場にテントを張って証人の立ち会いのもと出産することになりました。

 

こうしたごたごたのなかで産まれたフリードリヒII世ですが、いきなり悲劇に見舞われます。父のハインリヒ6世が東ローマ帝国への遠征の準備をしている最中に急病で亡くなってしまうのです。これから20年は活躍するはずだった夫を亡くし、途方に暮れたのがコスタンツァ。フリードリヒII世を養育するために頼ったのが、ローマ教皇のインノケンティウスIII世でした。宗教的な権威を持つ教皇ならば逆らう人がいないと思ったのでしょう。しかし、女手一つでそこまで成し遂げると、心労のためかコスタンツァも亡くなってしまいます。フリードリヒII世は4歳で孤児になってしまいました。